等身大で生きる

性的児童虐待 フラッシュバック注意

感謝と共に

コメント下さった方々、ありがとうございます。

 

返信する余力なく、ここでお礼申し上げます。

 

私が何に苦しみ生きているのか

 

精神科医も家族も、私自身ですら よく分かってないのだと思います。

 

精神科にかかる事は、20代でほぼ辞めました。

 

後は薬だけもらえればと消極的なその場療法だけしてきました。

 

いつ突発的に自殺するのかと、恐怖していた10代と20代を過ぎ

 

30代も40代も波乱万丈ながら、子供が居ることで頑張ってこれました。

 

まだ、あと数年はかかりますが

子供が巣立った後、自分の老いやトラウマと

 

どう折り合いを付けていけるのか

 

疲れ果ててしまった時に、うっかり自殺してしまった時

 

なんで自死を選んだか残せたらなと

 

実に後ろ向きな発想で始めたブログです。

 

でも、お気に入りのブログを読んだり

人それぞれの悩みや心の声を垣間見て

 

優しい気持ちなったり、頑張れ!と思ったり

 

毎日に楽しみと、寄り添い寄り添われている

 

そんな感覚があります。

 

ブログの内容に雲泥の差があり、申し訳なく

 

でも、変わらず☆を付けてくれる

 

コメントをくれる。

 

感謝しています。

 

 

大丈夫

ずっと探している物がある。

 

それは、石なんだけど

 

深い緑色をしていて、形はマーキース型

 

内側から輝く様な光を発している。

 

次女がお腹にいた時に、悪阻が酷くて入院した時に幻覚をみた。

 

幻覚ではなく夢だったのかもしれない。

 

暗い穴の底から、その石は浮上してきて

私は悟った。

 

穴は私で、その底にあるドロドロとした闇も私だけど

 

本当の姿は、その緑色の石だと

 

決して、薄汚いドロドロとした何かに絡め取られたりしない・・・

 

内から輝く深い緑色の石

 

自分の自分に対する認識を一瞬でひっくり返した幻覚

 

 

いつか、そんな時が来ると私を支えてくれたカウンセラーさんの言葉を その時思いだした。

 

 

これなんだ。

 

私は間違っていたんだ。

 

私は汚れてなんていない。

魂は輝いているんだ。

 

大丈夫だ。

 

だから、大丈夫。

 

 

 

 

記憶

1つ前のブログは結構しんどくて

 

暫く、身体が動かなくなった。

 

そもそも、なんで父親が妊娠したと信じたのか

 

そのやり取りを回想していて

 

記憶の蓋が開いた。

 

「おしりじゃなかったよ。中出ししたの」

私はそう言ったのだ。

 

それを父親は信じた。

 

でも、私の記憶の中では

ノーマルなSEXだけしか残っていなかった。

 

意図して忘れていたのか封印していたのか

 

あぁ、そうだった。

そうなのかもしれないと

 

硬直したまま思った。

 

記憶は年々、曖昧になる。

 

 

もう、安定剤を飲んで寝てしまいたい。

何もかも終わりにしたい。

後悔

中3の時に

 

近親姦から逃れたい一心で、父親に「生理が来ない」と言った事がある。

 

父親は真に受けて、中絶しに行くと言った。

 

高校受験を県外ですると言う体で、九州まで行って中絶しようと・・・

 

 

馬鹿なんだな・・・と思った。

 

 

中出ししてないじゃん。

それでも、できる人はいるのだろうけど

そもそも嘘だし

 

自分の娘に中絶しろとか言うのか・・・

それも受験って偽って

 

実の娘とも思ってないか

 

実母の浮気の子供だと言っていたしな

 

そんなものか・・・

 

その1年後、私は高校の家庭科の授業で

中絶の罪深さについて、どこまでも美しい正論を女性教師から聞かされ

 

将来の夢を書かされた。

 

10年後、君たちに送付するとの約束付きだった。

 

 

私は21歳で長女を産んだ時に、その家庭科の先生に連絡をとって将来の夢を送ってもらった。

 

 

私の夢は結婚して双子の女の子を産みたいと

幸せになりたいと書いてあった。

 

 

家庭科の教師からは、平凡な素敵な夢ですね。

的なお手紙がついていて

 

私は無性に腹がたった。

 

そこで、返信を書いたのだ。

 

貴方は、平凡と言うけれど

私にとっては、不可能に近い夢だったと

そして、あなたがしてくれた家庭科の中絶の授業だけど

 

それは、実の父の子を妊娠してしまったとしても同じ事を言うのかと

 

 

後日、謝罪の手紙と赤ちゃんの靴下が届いた。

 

私は、酷い事をしてしまったと悔やんだ。

 

そう思ってもそのまま何もしないで26年も経ってしまった。

 

 

 

曖昧な場所

中学生だったか高校生だったか

よく覚えてないのだけれど

 

あんまりにも辛いので、鏡の中の自分と入れ替われないかと思って

 

ずっと鏡を見ていた事がある。

 

鏡の中の私は感情が欠落していて、悲しい事も辛い事も感じない。

 

だから入れ替わった私も大丈夫なんだと言い聞かせていた。

 

その時に私は

現実ではない別の世界にスライドしてしまった。

 

現実ではない世界の

人とは違う周波数の中にいる。

 

そんな、境界線の曖昧な場所にずっと立っている感覚がある。

優しさの量

介護業界に入って約5年になる。

 

特別老人ホームや個人経営のデイサービスなどを転々として

 

今のデイサービスには1年半いる。

 

介護業界で働いている人は優しい人ばかりではなく、当たり前だけど色んな人がいる。

 

デイサービスは夜勤がないので、施設に比べて従事者の閉塞感や疲労感が少ない感じがするが

 

それでも、人の優しさには決められた量があって

 

それを使い切ってしまったら、意地悪い気持ちしか湧かないのかもしれないと何度か思う事があった。

 

おじいさん・おばあさんに

優しく接して過ごす我々スタッフは、そこで優しい気持ちを使い切ってしまって

 

残った意地悪い感情で、スタッフの悪口を言ったり仲間外れにしたりして何かを発散してる。

 

なんて、思ったり・・・でも、最近は

 

ただ、人間性の問題なんだと

 

何処にでもある普通の現象なんだと

そう考える様になった。

 

私はイジメには加担しないし、人の悪口も言わない。

 

職場にも同じスタンスの人がいる。

 

だから、優しさの量なんて物は、使い切ったりできない物のはずだ。

 

 

 

 

切ない

物の価値は人それぞれ違う。

 

ゴミにしか思えない物でも、人によっては

お金に変え難い物だったり、いくら払って惜しくない物だったりする。

 

廃盤になったぬいぐるみやポケモン関連のグッツなど

 

驚きの値段で取引されている。

 

適正価格とは言うものの、円安がこのまま進み

1ドル=200円とかになったら

 

インバウンド消費の感覚は、なんでも2分の1価格で買えてしまう。

 

物価高の進んでいる海外では、有り得ない値段で食事や買い物が出来ることになる。

 

そこで2重価格で差別化しようとなるのだけど

 

インバウンド用の価格と在住日本の為の価格

 

 

インバウンド丼=9800円

日本人旅行者用=4800円

 

 

これも、変な話だ。

 

 

つまりは、旦那の給料上がらないかなぁ・・・

 

と切実に思う今日 この頃・・・