等身大で生きる

性的児童虐待 フラッシュバック注意

実名の顔出し

凄い勇気だと思う。

富山の性的虐待を父親から受けていた女性の事だ。

 

最近はこの手の話題がSNSで溢れかえっている。

 

私がメディアで最初に触れたのは高校生の時にやっていたドラマだった。

高校の教師とその生徒の話で、2人は最後に自殺するだったか?

 

私は見ていない。

 

ドラマはNHK大河ドラマ以外、観させてもらえなかったし。

 

でも、かなり話題になったから内容は知っている。

 

当事者が見たら どんなに嫌な思いをすることになるかと怒りを露わにして友達に抗議したのを覚えている。

 

高校の時に読んだ小説にも、兄が妹を父親から救う為に殺害してしまうのもあった。

 

これを読んだ時も、私には兄が居たので 殺してくれないだろうかと本気で願ったものだ。

 

私の旦那は父親との事を知っている。

 

勇気があると旦那に話をしたら、富山の人か?と聞いてきた。

 

詳しくは内容を見てないとのこと

 

私の方が詳しい。

 

その手の記事を見ても、私には言わない事にしているらしい。

 

思い出したりして嫌な気持ちにさせたくないと。

 

ある意味 優しいが、このSNSの時代

そこら中に、この手の話は溢れかえっている。

 

また、1度読んだりすると関連記事を選んでアップしてくる。

 

親切極まりなく逆に迷惑だ。

 

身内を訴えても何のメリットもないと言う旦那

 

 

私はそんな事はないと思う。

 

怨みを晴らす為に訴えるのか?と旦那

 

それだけじゃないと思う。

 

不毛だし話が噛み合わないので、ブログに逃げてきた。

 

訴えても訴えなくても苦しみは変わらない。

怨みも晴れない。

過去もなくならない。

 

私は辛い時、父親を完全犯罪で殺す事を夢想しながら泣いてきた。

 

殺しても、怨みは晴れないし

過去もなくならないのに

 

完全犯罪にしたかったのは子供が居たからで

殺人犯の子供にしたくなかったから

 

子供が居なかったら、別に捕まっても良かったかもしれない。

 

でも、糞野郎(父親)を殺したせいで刑務所も割に合わないとも思った。

 

私が父親を殺したとしても 間違っていないし、犯罪を犯したなら償って当たり前だ。

 

 

殺しても彼女の様に訴えても、苦しみは変わらない。

 

どっちを選んでも苦しい。

 

 

私は結局、人生の中に親も兄弟も居ない。

死んでしまったから

 

って思う事で整理している。

 

これは逃げだ。

 

でも、同時に関わった人を守ってもいる。

誰1人としてほじくり返しても幸せになれないから

 

私は時効がある事で、そう思えている。