等身大で生きる

性的児童虐待 フラッシュバック注意

バージンロード

私はどちらかと言えば、厳しい家で育ったので、こうでなければならいと暗黙のルールや道徳観があったと思う。

 

結婚するなら、それは初めての人で

バージンロードを歩くなら、それはバージンでなければならないと本気で思っていた。

 

純白のウエディングドレスは純白の乙女が着る物だと思っていた。

 

 

今思えば、なんてスレてなくて初々しい考え方なんだろう。

 

少女漫画は、好きな男の子とキスする事でゴールみたいな可愛らしい物ばかり

 

私が中学2年生の頃に、今で言う所の『BL』の先駆けが商業誌に連載され、どハマリしたが

 

それは、自分の現実の結婚とは全く 別の世界。

 

 

私は、気が付いたら処女ではなく

どうやっても、周りの子達とは違くて

どう足掻いても、その事実は消せることはなく

 

自分が何でそうなってしまったのか理解した時、到底 受け入れられるものではなく絶望は深かった。

あの時のショックは文書にするのが難しい。

 

自暴自棄になりたくても、グレることを許してくれる程 甘い家庭ではなかった。

 

心の底から反抗する事は恐ろしかった。

 

 

そこに、松任谷由美のAnniversary

 

今はわかるの苦い日々の意味も・・・の歌詞

 

幸せに暮らしている自分を想像した。

そんな日が来るかもしれないと思った。

 

誰かのかけがえのない私になれるのではないかと思った。

 

 

それは、バージンでバージンロードを歩けない私がどうやっても手に入れられそうもない物だった。

 

 

「結婚しような」と言う実の父親

 

私は誰からも許されないし

大切にされる事もないだろうと思った。

 

ずっと性欲のはけ口でしかない自分

結婚もそんな物だと思っていた。